伝統と改革

新しい世紀に俳優座ルネッサンスを目指して

1944(昭和19)年2月に青山杉作、千田是也、東野英治郎、小沢栄太郎、東山千栄子、岸輝子、村瀬幸子ら10名の同人をもって出発した劇団俳優座は、戦後の文化的混乱期にいち早く演劇復興の旗頭として活動を開始しました。以来半世紀余にわたり、常に高い理想をかかげ演劇の正道を目指して広範囲にわたる仕事を続けてきました。

 俳優座創立の理念は、最初の10年間で劇団・劇場・研究所の三位一体のシステムとして実を結びました。私たち自身の力で成し遂げた「俳優座劇場」建設と16年間継続した「俳優座演劇研究所付属俳優養成所」の活動は、日本現代演劇史に於ける最も輝かしい成果であると自負しております。1970年代以降、小劇場運動の開花とともに現代演劇の多様化と隆盛の時期が始まったわけですが、このような流れに対して、私たちの劇団のそれまでの活動が果たした役割はきわめて大きなものであったと言えると思います。

この間、私たちの創造活動の根幹を支えた理念は、劇団20周年を期に公表された記念すべき文書「私共の歩み・私共の考え」(千田是也)の中にきわめて詳細に、具体的に論述されております。これはもう40年近く前に書かれたもので、今の時代にそぐわない部分もありますが、その基本的な精神は今なお私たちの仕事を発展させていく上で、貴重な導きの糸となっています。これは全文を資料館に収めましたので、是非とも参照されることを希望します。

わたしたちの今後の活動の根幹は、永年の貴重な伝統を引き継ぐとともに、その中に積極的に新しい血を導入して自己革新を計ることにあります。そのために、まずレパートリーとしては、私たちが過去に上演した重要な作品を今日の視点から見直す仕事をさらに押し進めるつもりです。それと同時に、国の内外を問わず時代の息吹を体現した新しい作家・作品を積極的に見いだし上演することを目指します。また、内外の優れた古典的な作品でまだ上演していないものにも貪欲に挑戦するつもりです。

私たちの上演活動は、俳優座劇場をはじめとする各中小劇場での本公演が中心になりますが、稽古場を本拠とした研究・実験的要素をもった「ラボ公演」などを定期的に行っています。これは創作劇研究会にはじまり、日曜劇場、定期公演、六本木小劇場という流れを受け継ぐ仕事として、新しい作家、俳優、演出家などを発掘育成し、明日の劇団を担う新鮮な才能を生み出すことを中心課題としています。海外の演劇人との交流も可能な限り継続する予定です。商業劇場やマスメディアにも積極的に関わり、より広い層へ働きかける仕事も重視します。私たちの意欲のほどは、各年度企画の詳細によって具体的に確認していただきたいと思います。

以上のような公演活動を組織的に支えるために、各専門部の体制を整え、各部内の活動の質を一層高めるために、幹事会を中心に日常的に自己点検を繰り返して劇団全体の活性化を目指して努力しています。それにくわえて、各部署のセクショナリズムを排するために課題に応じて編成されたプロジェクトチームの活動も軌道に乗ってきました。そのひとつは「新人募集」です。2002年度(平成14年度)に15年目を迎える演技研究生の養成は順調に成果をあげ、俳優座の新しい力として各方面で大きな注目を浴びつつあります。もう一つは「企画委員会」を軸としたレパートリー発掘の活動です。こちらはまだ始まって日が浅いのですが、今後の劇団の方向を決定する上で重要な役割を負わされています。またそれらに加えて、このホームページを立ち上げるに当たっては「ITプロジェクト」が編成され、今後のメンテナンスを含めて新時代への迅速な対応を模索しています。

私たちはここ数年余り前、千田是也、東野英治郎、田中千禾夫というかけがえのない指導者たちを相次いで失いました。一方、時代は私たちの予測をはるかに超えた速度で急激に変貌しつつあり、時代の鏡であるべき演劇には深刻な課題が突きつけられています。私たちはいま、先人たちによって残された貴重な遺産を真摯に受け継ぎながらも、新しい時代に向けて生まれ変わるべく全ての体制を整えつつあります。とりわけ、新時代の幕開けとも言うべき21世紀初頭のこの数年間は、私たちの劇団史上、かつてない重要な意味あいをもつであろうことを痛感し、新生に向けて全劇団員の創意とエネルギーを集合・結集して取り組もうとしています。


私共の歩み

俳優座の歩み

千田 是也 ―「俳優座史 1944~1964」所収― 自分の劇団、それも、このややこしい世の中に二十年ちかくも生きつづけ、白然に膨らんでしまつた劇団のことを、短い文章につづるのは...

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1944〜48年

この時期の私共は、終戦後のあの混乱のなかで、いうところの「新劇ブーム」に足をすくわれないように用心しながら、ひたすら新劇の伝統を掘りおこし、整理して、新しい出発のための基礎がために...

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1949〜53年

この時期には、だいたいその前の時期の方針に従いながら、ただ日本の脚本については、真船さんの作品だけにたよらずに、他の戦前作家の戦後の作品や戦後作家の作品を積極的にとりあげることによ...

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1954〜58年

新築の俳優座劇場での五つの十周年記念公演をおえると、私共は、劇場建設の難事業をいっしょに耐えぬいてくれた34人の準劇団員を劇団員にくわえて、62人の共同責任による劇団の新しい体制を...

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1959〜64年

次の5年問の私共の演劇活動も、前期の終りにきめられた本公演2回・日曜劇場3回・可能な範囲での旅公演という、きわめて窮屈な粋のなかで行われねばなりませんでした。 ご承知のように...

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俳優座の機構・運営

1961年の秋、劇場の負債の問題がいちおう片づくと、私共はさっそく劇団員総会を何度ももって、これまでの無理な仕事が生んだ劇団の歪みや立遅れについて話しあい、私共の基本的な在り方を、...

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